London Eye ロンドン・アイ
ロンドン・アイ (London Eye)。ロンドン中心部、テムズ河畔にある観覧車。ビッグベン (Big Ben) の対岸で、旧市庁舎の横に位置する。1999年末に完成、2000年3月から営業を開始した。今でこそ誰もが知る観光スポットになったが、当初はミレニアム事業として数年間だけの催し物として計画された。けれども人気が高く常設されることになったのだった。
大型でガラス張りのカプセルがゆっくりと回り、乗客はロンドンの素晴らしい景色を360度楽しめる。
通常の観覧車は両側から支えられたホイールにカゴがぶらさがっているが、ロンドン・アイは片側だけからの支柱がホイールを支えているのが特徴。そしてホイールの回転とともに、ホイールに固定されているガラス張りカプセルを回転する。両側からホイールを支えたほうが観覧車の製作は楽だが、設計者はこのデザインに拘った。ホイールを支える回転軸は相当な荷重がかかるが、製作するメーカーを探し求めた結果、チェコのシュコダ (Skoda) 社に依頼することになった。ホイールは、モーターがホイール底部のタイヤを回転させることにより、タイヤとの摩擦で回転する。
ロンドン・アイ製作のドキュメンタリ―番組を観たことがある。デザインを募ったとき、日本の会社が両側から支える案を提出したが、それは没にしたというくだりがあった。日本だったらデザインよりも費用や安全性のために両側案でよしとしてしまうかもしれないのに、あくまでデザインやアイデアに拘る、だから斬新で新しいものが生まれるんだなと思ったものだ。
London Eye はゆっくり回る。1周約30分かけてゆっくりゆっくり回る。これも英国っぽいなと思ったものだ。開業して少し経った頃、当時売り出し中の10代女性シンガーが、ラジオ番組でロンドン・アイについて、「もっと早く回ればいいのに」と言ったのには思わず笑った。まあそう思うかもしれないが、そこはゆったり構えるんだ。
片側から支えられたホイールとともに全面ガラス張りの大カプセルがゆっくり回る斬新なデザイン。すっかりロンドン名物として定着した。
以下の写真は2002年に撮ったもの。今は新しいビルなどが建ち景観は変わっているだろう。いつか新しい景観と比べてみるのも楽しみだ。
全体像。
ホイールとカプセル。支柱が片側からホイールを支えている。
カプセル。ガラス張り。
国会議事堂 (ウエストミンスター宮殿 The Palace of Westminster)、ビッグベン、その後ろにウエストミンスター寺院 (Westminster Abbey)。2011年4月29日ウイリアム王子とケイト妃がここで挙式した。また歴史上の有名人が眠り、最近 (2018年) ではホーキング博士がここに埋葬された。
バッキンガム・パレス (Buckingham Place; 中央)。
ウォータールー (Waterloo) 駅。当時は (2007年まで) ユーロスターのターミナル駅だった。
チャリングクロス (Charing Cross) 駅。後方にBTタワー、右側にトッテナムコートロード駅近くのセンターポイント (Centre Point) ビルが見える。
大英博物館 (British Museum) 付近をズームして見る。大英博物館図書室 (British Museum Reading Room) の丸い屋根が中央に見える。右奥にはセントパンクラス (St. Pancras) 駅の一部が見える。この地域を私はよく知っており、つい詳細まで見入ってしまう。
セントポール寺院 (St. Paul’s Cathedral)。テムズ川の手前にオキソタワー (Oxo Tower)。右奥の高い建物はナットウエスト・タワー (NatWest Tower)。今確かめたら名称が変わって「タワー42」となったらしい。その右側、画像右端の工事中の骨組みだけの建物は、ガーキン (The Gherkin、2003年完成) と思う。
ロンドン・アイすぐ横の旧市庁舎。この写真を撮った頃までには、市庁舎はサザク (Southwark) に出来た新しい建物に移っていたようだ。ロンドン水族館はこの建物内にある。
以上、写真は2002年のもので、元原稿は社内記事用に2011年に書いた。だから2011年のロイヤルウエディングに言及している。こうやって写真を眺めていると、ロンドン愛が呼び起こされる。今のロンドンを見てみたい。ロンドン愛を呼び起こす London Eye、ダジャレすみません、でも本当にそうです。
8月31日 Kensington Palace ケンジントン・パレス
1997年8月31日、私はロンドンに居た。前日の30日土曜日に知人の誕生日パーティがあり、私は知人宅の広間でザコ寝した。31日朝1人起きて外へ出ると、いつもと何か様子が違った。街がひっそりと静まりかえり、時折喪服の婦人が教会へ急ぎ足で向かう。日曜だから平日の通勤時とは違うだろうし、教会に行く人もいるだろう。でも何か違う、まるで国家元首が亡くなったみたいだと思った。駅へ向かう途中、売店に並ぶ新聞の大見出しで事故を知った。「PRINCESS DI DIED」「DIANA DEAD」。下宿に帰ると、家主のおばさんがテレビを見ながら泣いていた。8月31日未明、ダイアナ妃 (Princess Diana) パリで事故死。36歳。
ロンドンの何カ所かの宮殿では市民が何時間も並んで記帳した。妃の住まいだったケンジントン・パレス (Kensington Palace) 前の広場は、しばらくの間献花で埋め尽くされたのだった。このとき長男ウィリアムは満15歳、次男ハリーは満12歳。
当時の写真。
セント・ジェームズ・パレス (St. James’s Palace) 前に記帳のために並ぶ人々。
私も四~五時間かけて並び記帳した (何で日本人のおまえがという声もあったが。。)。
列の前に掲げられているボードには「THE BOOK OF CONDOLENCE QUEUE」と書かれている。記帳のための列。
写真の整理をしておらず場所を記録してなかったが、門の形からバッキンガム・パレス (Buckingham Palace) 前のようだ。
公園にも花とメッセージ。セント・ジェームズ・パーク (St. James’s Park) かハイドパーク (Hyde Park) だろうが、広い感じはハイド・パークだろうか。
ケンジントン・パレス (Kensington Palace) 前。
2005年撮影のケンジントン・パレス。献花や写真が絶えることはない。
Tate Modern テイト・モダン
Tate Modern、テイト・モダン(*1)、テイト現代美術館。ロンドンにはテイト美術館(*2) が19世紀末からミルバンク地区にあるが、その現代芸術専用ギャラリーとして2000年にオープンした美術館。一番の特徴は、以前の火力発電所の建物を使用していること。テムズ河畔にあり、川をはさんでセント・ポール大聖堂の向かい側に位置する。両者の間には歩行者橋ミレニアム・ ブリッジが架かる。有名なセント・ポール大聖堂を見学し、ミレニアム・ブリッジを渡り、テイト・モダンの建物に入るのは、ちょっとしたロンドン体験であろう。ただテイト・モダンの展示物については、現代芸術の常として、さまざまな意見があるようである。
*1 Tateの日本語表記は「テート」がよく使われているようだがここではテイトにする
*2 2000年まではTate Gallery、2000年以降はTate Britain
ミレニアム・ブリッジから見るテイト・モダン。
タービン・ホール (Turbine Hall)。旧火力発電所。壮観。
テイト・モダンの対岸、St. Paul Cathedral セント・ポール大聖堂。英国国教会の大聖堂。チャールズ皇太子とダイアナ妃が1981年に結婚式を挙げた場所としても有名。写真手前の人たちは結婚式が終わったところのようだ。
ミレニアム・ブリッジ。テイト・モダンから見る。2000年に開通したが、多勢の人が渡ると共振により予想以上の揺れが生じたため3日後に閉鎖、2002年に再開通したという経緯がある。「ゆらゆらブリッジ (Wobbly Bridge)」という皮肉混じりの愛称の所以である。
ミレニアム・ブリッジからの眺め。南東方向。中央右の白い壁の建物はGlobe Theatre (グローブ座、ロンドンのシェークスピア劇場)。
上の写真から15年経過し、今の風景は少し変化している。Google Street Viewでほぼ同じ角度の眺めがこちら。スクショとその下にStreet Viewのリンク。
Street Viewへのリンク: https://goo.gl/maps/REDcHwDNjyn
今はザ・シャード (The Shard) が見えるのだ。
【Tate Modern ホームページ】
【地図】
Eltham Palace エルサム・パレス
ロンドン南東部にある邸宅。中世には王室が使用していたが、その後廃れた建物を1930年代に資産家が購入、アール・デコ (Art Deco) 調の改装を施した。1995年に English Heritage の管理となり公開されている。中世と近代の様式が共存する建物と周囲の庭園を楽しむことができる。ロンドン中心部から電車で30分ほどで、日帰り散歩に適している。
入口付近
壁のモチーフ。何を表しているのだろう?
アール・デコ (Art Deco)
グレート・ホール (Great Hall)
15世紀の木造建築
建物はお堀に囲まれている
庭園
鳥たちものんびり
エルサム・パレス入口手前の広場にいた馬の親子(と思う)。絵に描いたような平和な風景だった。
切り抜いて自分のアイコンとして使用していた時期もあった。
ホームページ
地図
電車の場合 Mottingham または Elthamから。私は (15年くらい前) Elthamから歩いた。
Wimbledon ウィンブルドン
前記事にロンドン・マラソンがロンドンの春爛漫を告げる行事という旨を書いた。それになぞらえて言えば、ウィンブルドン (全英テニス選手権) はロンドンが一年で最も良い季節にあることを告げる行事だと思っている。
3月から4月にかけて段々と日が伸び、ボートレース、競馬、そしてロンドン・マラソンと続く風物詩行事について前記事に書いた。さらに加えると、3月から4月にかけてイースター (復活祭) があり、イースター・サンデーの前の金曜 (Good Friday) と次の月曜 (Easter Monday) は休日で、この連休に出かける人も多い。5月、陽射しはさらに明るくなり、5月最初の月曜と最後の月曜は休日 (bank holiday) で、明るく過ごしやすい気候の中で休日を楽しむことが出来るようになっている。そして6月、日は増々伸び気温も上がって初夏の様相を帯び、1年で最も良い季節と感じられる。その6月の最終週にウィンブルドンは開催される。ウィンブルドンが終われば、あとはうだるような暑さの夏の到来、これが私の持っているウィンブルドンのイメージだ。イギリス人的には、ウィンブルドンはイチゴに生クリームをかけて食べることと結びつくらしい。なお2015年までは6月最終週がウィンブルドンのスタートだったが、2015年からは選手の体調管理のためフレンチ・オープン閉会後3週間経ってからの開催となり (*1)、7月に入ってからの開催になることもある。
*1) All England Club confirms Wimbledon date change
以下は私が訪れた1998年の経験をもとに記述している。現在のチケットの購入方法の詳細は把握していない。
ウィンブルドン・テニスの入場券は、センターコートとNo.1コート (*2) はそれぞれ専用の入場券が必要、その他は一般入場券を購入して入場し、見たい試合のコートの周りで適当に観戦することになる。当日券もあるが、何時間も並んで買うことになる。もっとも、早めに行って並んでチケットを買うのもウィンブルドン体験の1つと言える。観戦を終えた人のチケットなど、不要になったチケットの再販も公式に行われている。主催者は認めていないが、観戦を終え会場を去る人がこれから入場する人にチケットを安価で売るという個人間売買も行われていたが、取り締まりは年々厳しくなっているようだ。
*2) 現在特別に入場券が必要なのはNo.3コートまで
場内はかなり広く、特定の選手や試合を見る目的ではなくても、広大な公園を散策する感じで楽しめる。
センターコート入口
ヤナ・ノボトナ (Jana Novotná)。1998年のこの大会、女子シングルスは彼女が優勝した。
大型テレビで観戦できる芝生広場、アオランギ・テラス (Aorangi Terrace)。Aorangi はニュージーランドの最高峰マウント・クック (Mount Cook) のマオリ語での呼び名。ここにニュージーランド・ラグビークラブのグランドがあったかららしい。英国選手の活躍に従い、ヘンマン・ヒル (Henman Hill)、そして今はマレー・マウンド (Murray Mound) と呼び方が変わっている (*3)。
*3) Henman Hill - Wikipedia
大型テレビに映るマルチナ・ヒンギス (Martina Hingis)。ヒンギスはこのとき17歳。4大大会シングルスではすでに前年の全豪オープンで優勝している。このウィンブルドンでは準決勝でノボトナに敗れたが、ノボトナと組んだダブルスでは優勝した。なお上の Aorangi テラスの写真のテレビに映っている選手は、ヒンギスが3回戦で対戦したエレーナ・リホフツェワ (Elena Likhovtseva) のようだ。
センターコート。今は開閉式の屋根 (2009年完成) がある。
London Marathon ロンドン・マラソン
2000年前後にロンドンに住んでいた時のロンドン・マラソンの写真とロンドン・マラソンというイベントについての思いを綴った記事で、現在の参加方法や体験談などの記事ではないので、悪しからず。
ロンドン・マラソンは4月半ばに開催される。長く暗い冬のあと、春の陽光がまぶしい中で行われるというイメージがある。スタートはロンドン東部グリニッジ (Greenwich)、ゴールはバッキンガム・パレス (Buckingham Palace) 近く。特徴の1つは、多くの市民ランナーがチャリティーのために走るということ。走ることで募金を集め、登録していたチャリティー団体に寄付をする。またユニークな着ぐるみでゆっくり走るランナーも多い。チャリティー枠以外の一般参加はくじ引きになるが、このくじ引き枠にも定員があって (実際走る人の3倍か4倍)、それがネット受付開始後1日くらいで埋まってしまう。私も2008年ごろからマラソンをするようになり、登録しようと思ったことがあったが、登録期間が前年のマラソンのすぐ後で、気づくと登録終了になっていたという経験がある。参加はなかなかむずかしい。
先頭グループの競争と熱い応援や、着ぐるみランナーと観衆の盛り上がりとか、ロンドン・マラソンのもっと賑やかな様子がわかる写真がなくて残念。この写真はどのくらいのタイムのランナーを写したのか記録がなくてわからない。
向かって右側はテムズ川。
大多数のランナーは通り過ぎたあとだと思う。
写真を撮った場所はエンバンクメント (Embankment)。たしかこの辺と思って今Google Streetview で確認した。1枚目の写真に写っている橋は、ウォータールー橋 (Waterloo Bridge) だ。2枚目は橋の上から東向きを、3枚目は西向きの風景を撮っている。
ロンドン・マラソン開催と聞くと、イギリスは春爛漫なんだなと思う。
ロンドンはイギリスの南側にあるとはいえ、北海道よりも緯度は高く、冬は夜が長く、寒く暗い。3月になり春分の日が近づいてくると、ぐんぐん日が伸び、それに合わせて3月末からはサマー・タイムが始まる。この頃のメジャーなスポーツ・イベントとして、テムズ川で行われるオックスフォード大とケンブリッジ大学のボート・レース (The Boat Race) がある。またリバプール近くのエイントリー (Aintree) 競馬場で行われる、グランド・ナショナル (Grand National) という競馬も風物詩だ。出走した馬のうち何頭が完走できるかも見どころになる、大障害物競争だ。そして日差しも増し春爛漫という4月の半ば、ロンドン・マラソンが開催される。今も日本でロンドン・マラソンのニュースを聞くと、ああイギリスは春なんだなと思う。
Russell Square ラッセル・スクエア (2)
前記事は Russell Square ラッセル・スクエア。
前記事に続いて、Russell Squareの周辺について。
Great Ormond Street Hospital for Children グレート・オーモンド通り小児病院
写真はクリスマスの飾り付けがしてある病院入口。
ラッセル・スクエア南東向かい側の通りを少し入ったところにある、世界的に有名な小児病院。難病の子供も多く入院し、先端治療が行われている。検索すると、「ピーター・パン」の作者は1929年「ピーター・パン」の 著作権をこの病院に寄付したとのこと。また米国の俳優ジョニー・デップは、 腎臓病の娘を治療したこの病院に100万ポンドを寄付したそうだ。それほど高い信頼と期待が寄せられている病院ということだ。
Pub “The Perseverance”
名所というわけではないが、自分メモ的に。
グレート・オーモンド通りを東のほうへ行ったところに、パブ The Perseverance がある。
Perseveranceという単語は、忍耐、堅忍不抜、不屈の努力という意味で、それがお酒を飲むお店の名前になっているから、最初見たときは面白く思われた。しかし名前の由来を調べてみると、どうやらそういうfunnyさを狙ったものではないようだ。
こちらのwikiページには、駅馬車 (stagecoach) の名前とある。
英国人はパブであらゆることを議論し、ビールを飲むことが必ずしも羽目をはずすことではなく、仮にPerseveranceが努力や忍耐の意味を帯びていても、パブの店の名前としてあり得るのかなと思えなくもない。
Tavistock Square タヴィストック・スクエア
ラッセル・スクエアから北側へ1ブロック進んだところにある公園 (*1)。
この公園の中央には、マハトマ・ガンジー (Mahatma Gandhi)の彫像が静かに佇んでいる。ガンジーの彫像はポーランド出身の彫刻家フレダ・ブリリアント (Fredda Brilliant)によるもので、1968年に設置された。
またこの公園には、広島・長崎の原爆被災者を追悼するサクラの木が1967年に植えられている。何というサクラの種類だろうか?
ガンジーやサクラの木などから、この公園はある意味「平和公園」という存在だった。
2005年7月7日、タヴィストック・スクエアの北東、英国医師会(BMI)本部前の路上を走る2階建バスで爆弾が爆発し、乗客13人が犠牲になった (*2)。少し東の地下では、Kings Cross駅からRussell Square駅へ向かう地下鉄でも爆発があった。この日ロンドンでは4カ所で爆弾テロがあり、計52人が犠牲になった。
私はこの記事を書くほどにこの界隈をよく知っており、また2005年3月にはロンドンを訪れてこの公園にも来ていただけに、このテロには驚き、知り合いの心配もしたのだった。
悲惨な現場前の公園で、ガンジーは今日も静かに佇んでる。事件を経て、タヴィストック・スクエアはより一層「平和公園」としての意味合いが深くなった。
Woburn Walk ウォーバーン・ウォーク
タヴィストック・スクエアからユーストン通りへ向かう途中、Ambassadors Hotelの手前に右側へ入る路地がある。ウォーバーン・ウォーク (*3) だ。
短い路地で何事もなく通り過ぎかもしれない。が、周りとちょっと違う「雰囲気」がある。実はこの路地は1822年に歩行者専用道として設計されたもので、今も当時の面影を残している。そのため、ドラマの撮影が行われることもあり、実際撮影しているところを見たこともある。
地図
1. Russell Square 2. Great Ormond St. Hospital 3. The Perseverance 4. Tavistock Square 5. Woburn Walk
参照
*1 https://www.bedfordestates.com/london-garden-squares/squares/tavistock-square/
*2 http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/uk/05/london_blasts/what_happened/html/tavistock.stm
*3 https://londonunveiled.com/2013/07/04/woburn-walk/