8月31日 Kensington Palace ケンジントン・パレス
1997年8月31日、私はロンドンに居た。前日の30日土曜日に知人の誕生日パーティがあり、私は知人宅の広間でザコ寝した。31日朝1人起きて外へ出ると、いつもと何か様子が違った。街がひっそりと静まりかえり、時折喪服の婦人が教会へ急ぎ足で向かう。日曜だから平日の通勤時とは違うだろうし、教会に行く人もいるだろう。でも何か違う、まるで国家元首が亡くなったみたいだと思った。駅へ向かう途中、売店に並ぶ新聞の大見出しで事故を知った。「PRINCESS DI DIED」「DIANA DEAD」。下宿に帰ると、家主のおばさんがテレビを見ながら泣いていた。8月31日未明、ダイアナ妃 (Princess Diana) パリで事故死。36歳。
ロンドンの何カ所かの宮殿では市民が何時間も並んで記帳した。妃の住まいだったケンジントン・パレス (Kensington Palace) 前の広場は、しばらくの間献花で埋め尽くされたのだった。このとき長男ウィリアムは満15歳、次男ハリーは満12歳。
当時の写真。
セント・ジェームズ・パレス (St. James’s Palace) 前に記帳のために並ぶ人々。
私も四~五時間かけて並び記帳した (何で日本人のおまえがという声もあったが。。)。
列の前に掲げられているボードには「THE BOOK OF CONDOLENCE QUEUE」と書かれている。記帳のための列。
写真の整理をしておらず場所を記録してなかったが、門の形からバッキンガム・パレス (Buckingham Palace) 前のようだ。
公園にも花とメッセージ。セント・ジェームズ・パーク (St. James’s Park) かハイドパーク (Hyde Park) だろうが、広い感じはハイド・パークだろうか。
ケンジントン・パレス (Kensington Palace) 前。
2005年撮影のケンジントン・パレス。献花や写真が絶えることはない。